ホームをつくってファミリーをつくる 戸籍の巻
お正月ですから縁起の良い話をしたいと思います
私たちはいつも「家」をつくっているのですが「家」にはいくつかの意味があります
ハウス・・・家本体、建物のことです
ホーム・・・家庭のことですね
いつも私たちは「ハウスをつくるんじゃない、ホームをつくるんだ」
とかっこよく言っていますが
ファミリー・・・これは何といえばいいのでしょうか?
自分、子供、親、孫、祖父母、曾祖父母、そのまたそのまた・・・・
さかのぼればキリがありません
そこで自分のファミリーをたどる旅に出かけることにしました(大げさ)
4日から役所がやっていますので自分の戸籍を取りに行きました
簡単ですね
自分の本籍地の役所の窓口でそれをもらったら
「親の戸籍謄本も下さい」
原戸籍(はらこせき)っていうのももらってきました。電子化される前の手書きの戸籍です
そこからさかのぼるには・・・・
祖父の本籍地の役所に行きました・・・
と言ってもクルマで10分です
(最近はオンラインが進んでいますから本庁舎でなくてもOKでした)
役所で
「この人の除籍謄本下さい」(じょせきです)
「はい、じゃあこの用紙に書いて印鑑下さい、身分証明するものありますか?」
「免許証でいいですか?」
「はい、お孫さんですね。明治○○年(忘れた)まで出ますよ」
(戦争などで資料が残っていない場合もあります。金沢市は戦災にあっていないからラッキーだと思います。町村合併のあおりも受けていません)
役所の戸籍係の人はさすがに詳しいです
自分の親よりも詳しいのじゃないかと思うくらいです
しかも昔の戸籍は手書きで、地名も昔の町名ですからさっぱりわかりません
役所のベテランのヒトは読めるみたいです
役所に残っている戸籍は全部もらうことにしました
何種類かあるみたいですが分家(これまた古い表現)する前の本家の分も出てきました
20分くらいの待ち時間でかなりの資料がそろいました
(手数料がかかります)
明治時代の家族制度では戸籍が「ファミリー」単位で「ホーム」単位ではありません
前戸主 → 戸主 → 母 → 前戸主の弟妹 → 妻 → 兄弟姉妹 →(まだまだ続く)
てなぐあいで記載されていきます
母親の名前は戸主の次です。長男がいちばん「エライ」のです
長男が早く死んだ場合は次男、三男と男が戸主になるようです
養子縁組みも頻繁です
「隠居」「家督」などと言う言葉まで出てきてビックリです
「隠居」すると家督を譲ることが出来て、その家督を譲ったことを届け出しなければならなかったようです
健康長寿が当たり前になった現代では不思議な制度です
読み解くのはけっこうたいへんです
甥、姪まで戸籍に載っています
「弟の妻」
と書いてあったりします
うーんややこしい
記録に残ってるいちばん古い人の出生記録は・・・嘉永元年(1848年)でした
ちなみに黒船来航が嘉永6年です
もっとも生没年不明のヒトならもっと古い人も残っています
というわけで「ファミリー」は代々伝わっていきます
記録に残っているだけでもいいほうです
残っていない昔むかしのヒトも大事なファミリーです
私たちが手伝いさせて頂く仕事はファミリーの歴史のほんの一瞬かもしれません
それでも一瞬の「キラリ」と光る時間を演出させて頂けたら幸いだと思います
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投稿者:シンat 23:26| ■ゲンバ日記 | コメント(0) | トラックバック(0)